火葬場と汚水処理場。
2つの「終着駅」が共存する、下町の一角で、僕は産声をあげた。 両親はお菓子屋を営んでいた。
商売の邪魔になるからと、僕は一人部屋の中に幽閉されて育てられた。
近所の子供たちと遊んだ記憶はほとんどない。
幼い頃の記憶で残っているのは、六畳一間の子供部屋。
夜みんなが寝静まった後、すだれがかかった窓からこっそりのぞいた小さな小さな空と大きな月。 それが僕にとって唯一の「外界」との接点だった。
スモッグでほとんど見えない星を探し、星座をたどり、将来に夢をはせた。
大人になって、僕は家にほとんど帰らないようになった。
そして10年前の七夕に親父も天界へ還り、親父が築き上げた家業も、「息子」である僕の手によって終止符が打たれた。
「不燃化事業」とやらで、家それ自体も「道路」となり、完全消滅した。
自分の「居場所」を探す旅。それが僕の人生なのかもしれない。