ただの「歯車」になりたくない。
中学の卒業論集に僕が残した言葉。
社会という「システム」に組み込まれるのが必然だとしても、
受動的にただ組み込まれるのではなく、「考える歯車」になりたい。
そう強く思っていた。
与えられたモデルに矢印を一本追加して統計を回して答え合わせをする。
受験勉強の延長みたいで、そんな勉強をするぐらいなら、遊んだ方がまだいい。
とにかく実学というものに興味を持てなかった。
そんな僕に1つの生きるヒントを与えてくれたのが、慶応大学で出会った樫原正勝先生である。
数字だけを追い求める、有用性だけを追い求める「マーケティング」を否定し、
目の前にある現象の「なぜ」を、そこに関わる人間の行為を「理解」しながら迫っていく。
使う本は分厚くて、とにかくしんどかったが、内容がわかったときの達成感、「ああそういうことだったんだ」
という感覚が気持ちよくて、たまらなかった。先生は僕をはじめて人間扱いしてくれた先生でもある。
樫原先生との出会いが、僕の人生を大きく変えることになった。
教師として初めて赴任したのが、静岡県磐田市にある静岡産業大学である。 勉強が苦手だけど、向学心はある。そんな不思議な子たちとの出会いが僕を変えた。 人を育てることは「寄り添う」ことである、ということを身をもって知った。 当時若くて、今以上に空回りばかりしていた僕を、あっきー、てじゃん、まーくん、きくさん、みつ、河村・・ たくさんのゼミ生たちが「寄り添って」支えてくれた。 J…
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