運動もできない、手先は不器用。
でも頭の回転と記憶力だけは抜きん出ていた。
当時地元の中学は荒れていたし、小学校のときは、縄跳びで縛られて
朝礼台の下に放り込まれるといういじめにもあったことがあったから、
地元の中学に進むのは絶対いやだった。
ボコられたくない、いじめられたくない、その一心で勉強した。
運もあって、開成という男子だけの進学校に中学から進学、殴られる痛みからは逃れることができた。
しかし、その代わり中高6年間、落ちこぼれであるがゆえの心の痛みに苦しみつづけることになった。
中学の時点で、理科が物理、生物、化学と細分化、英語も複数科目がある。
中間試験のたびに5日間で 15科目の試験をこなさなければならない。
眠れない日々。でも結果はついてこない。全科目平均で55%に 到達しなければ留年。
留年の危機に直面するたびに親が呼び出される。絶え間なく押し寄せる挫折と苦悩の波。
結果、僕は「開き直る」ことができるようになった。
成績が悪くても、命がなくなるわけではない。
人生の中で本当の意味で「どうにもならないこと」は、「死」以外ない。そう悟ったのもこの頃のことである。